イメモ予想#2
前回のイメモの特性整理では、一口に「ニコラ3大ブランド」といっても、配置されるイメモはレピピとラテがトップクラスであるのに対し、ラブトキのみ格下であることを見てきました。
それでは、なぜラブトキだけが冷遇されるのか。今日は、その理由を解説します。
代数表記の有無
毎年5月号(2020年までは6月号)に掲載される、新イメモの発表ページ。
こうして、レピピとラテには多くの場合「第○代」と入るのに、ラブトキだけは「第○代」の表記がなされることはありません。
実はここに、ラブトキが編集部から冷たくあしらわれる理由が隠されていたりするのです。
ラブトキイメモの起源
時は今から10年ほど前。ラブトキを展開するナルミヤインターナショナル社は、ニコラではなく、同じ中学生雑誌のライバル誌ピチレモン(2015年休刊)の方に肩入れしていました。
そこで、ラブトキのイメージモデルも、ニコモからではなく、当時のピチレのトップモデルで、後にポップティーンでも人気を獲得する前田希美さんを採用。
初代イメモとして、大々的にピーアールしました。
休刊ラッシュ
ところが時を同じくして、ハナチュー(2011年)⇒ラブベリー(2012年)といった中学生雑誌が、立て続けに休刊を発表。
けっきょく、2000年代には全部で6誌もあった中学生雑誌ですが、2012年にはニコラとピチレの2誌のみとなります。
そこで、ラブトキはどうしたか。ピチレを捨て、堅実に売り上げを維持していたニコラに乗り換えるのです。
寝返り
具体的には、2代目のラブトキイメモとして、当時まだ中2であったニコラの藤麻理亜さんを抜擢。
あっさり、落ち目であったピチレを見限り、ニコラへと寝返ったわけです。
まあ実際、そこから数年後にはピチレが休刊となっているように、結果としてニコラを選択した判断は正しかったといえますが、当時の読者や関係者には、やや後味の悪い印象を与えてしまったかもしれません。
初代vs.2代目
ともかく、藤さんはラブトキのイメモとして”ニコラでは初代”となりますが、実質的には”2代目”という。
こうした、「ブランド側による乗り換え」「ライバル誌の専属モデル同士でイメモ引継ぎ」といった一連の複雑な事情により、ニコラで新しいイメモが就任しても、ラブトキにだけ「○代目」の表記がないのです。
外様だから
ということで、ラテやレピピと比べ、ラブトキのイメモが格下に扱われてしまう理由は、要するに外様であるから。
だからこそ、基本的に各世代のナンバーワン、ナンバーツーのトップモデルは、イメモとして決してラブトキに配置されないし、生徒会長・副会長も、ラブトキイメモから7年連続で誕生していないのです。