ニコはじ
林芽亜里ちゃんといえば、顔もスタイルも抜群で、読者人気は圧倒的ナンバーワン。
当然、表紙回数もSNSフォロワー数もニコモでダントツ第1位。
もはや、欠点など何一つないように思えますが、今月号の漫画「ニコはじ」から、芽亜里ちゃんに”足りないモノ”が浮かび上がってきました。
違和感の正体
3月号のニコモ漫画は、芽亜里ちゃんのエピソード回だったわけですが、これを読んで、ちょっと「あれ?」と、引っかかるものを感じた人も多かったのではないでしょうか。
その”違和感”の正体は、いったい何か。
ズバリ、「私のファン」「ファンの子」「ファンのみんな」「私のフォロワー」といった、自分のファンを指す言葉の連発です。
対立構造
一方で、これらと対立させるように、46ページ2コマ目には「私以外のニコモのファン」という表現も登場。
ますますもって、違和感は高まります。
要するに芽亜里ちゃんは、ニコ読を「自分のファン」vs「自分以外のファン」という対立構造の形で捉えているわけです。
ニコ読の位置づけ
図の解説
図に示すとこんな感じ。本来であれば、図の左側のように、ニコ読には大前提として「ニコラが大好き」「ニコモが大好き」という共通認識があり、その上で「メアリ推し」「ここは推し」「カイラ推し」といった個々のファンや複数の推しが存在するわけです。
にもかかわらず、今回のマンガを読む限り、芽亜里ちゃの中では「ニコ読のみんな」という意識は希薄で、むしろニコ読を「自分の味方」「敵」と区分して捉えていることが透けて見えてくるのです。これこそ違和感の正体です。
セリフ=本人の発言
この点、ありがちな反論として「実際に本人が語っているわけじゃない」「漫画家さんの創作が入っている」といった声もあるようですが、そんな言い訳は通りません。
そもそもこの連載は、各回ごとに漫画家さんが、ニコモ本人に詳しく取材した上で、物語を作っていきます。
また、もちろん出来上がった原稿は、本人が最終チェックしているわけで、欄外のコメントはもちろん、漫画本編に関しても本人の意見が完全に反映されているのですから。
具体例
ということで、改めて確認してみると、46ページ欄外に「自分のファン」。6コマ目に「ファンの子」。
47ページ最後のコマにも「ファンの子」。
49ページ1コマ目&8コマ目に「ファンの子」、4コマ目に「(私の)フォロワー」、最後のコマに「ファンのみんな」。
対して、ニコ読全体を指す表現としては、「読者のみんな」というのが46ページ5コマ目に、唯一あるだけなのです。
読解問題
加えて、最も問題なのが漫画の最後のシーンです。
ここで、ちょっと国語の読解問題を解いてみて下さい。
【問題】以下の文章中、下線部の「みんな」は具体的に誰を指すのか。48ページを参照して答えよ。
(1)「みんなの応援があったからここまでがんばってこられた」
(2)「みんなに恩返しがしたいからがんばれるんだ」
答え合わせ
コレ、一見「みんな」ということで、読者のみんなを指すと思いがちです。
しかし、直前の文章を読めばすぐにわかる通り、「ファンの子から愛をもらったので進んでこられた」のであり「努力の源はファンのみんなの愛」。
ということで、解答は(1)が「ファンの子」。(2)が「ファンのみんな」となります。
ファンだけに感謝
いやいや、ちょっと待ってください林さん。そこは嘘でも「ニコ読のみんな」「応援して下さる方々」でいいじゃないですか。
あえて、感謝の対象を限定するような表現を用いることなんてないじゃないですか。
それにしても、なぜ芽亜里ちゃんはこうまでして、「自分のファン」にこだわるのか。何が芽亜里ちゃんをそこまでさせるのでしょうか。
アンチの存在
ここから見えて来るのは、芽亜里ちゃんは極度のアンチ嫌いなのではないかということです。
アンチに弱いといってもいいかもしれません。それこそ先々代の生徒会長黒坂莉那ちゃん並みに。
この点、一部のニコ読の間で「芽亜里ちゃんクラスなら、表紙15回は楽勝だったのに、あえて編集部が露出を抑えた」「芽亜里ちゃんなら確実に生徒会長相当だったのに、あえて編集部が副会長にとどめた」と言われています。
そして、その理由と言うのが、全てアンチ回避ためというのです。
守るための手段
たしかに、いくら人気があったとしても、表紙を連続で何度も何度もやれば、そこは他のニコモのファンから批判にさらされることになります。
その上、さらに学年トップの存在として生徒会長にもなれば、ますます風当たりは強くなります。
だからこそ、編集部を中心とした”周囲”が、芽亜里ちゃんを守るため、少しでもアンチからの攻撃を減らそうということで、表紙への起用回数を抑えつつ、会長職も阿部ここはちゃんに譲ったというのです。
ファン依存
最初、この説を聞いたときは「まさか」と思いました。
しかし、こうして今回の漫画で分かる芽亜里ちゃんの「自分のファンへの過度な依存・入れ込み」を見るにつけ、意外と当たってるのかもと思ったりするところです。
「アンチは養分」
さて、「アンチ上等」「アンチは養分」。これらは生徒会長、ここはちゃんが座右の銘とするものです。
ここはちゃんは、SNSに来るコメントやDMやもちろん、あえてツイッターで自分の名前を検索し、アンチの投稿もチェックする。
その上で、(投稿にある程度は説得力・根拠がある場合)自分や自分のファンではなかなか気づかないであろう、アンチ独自の視点による指摘を素直に受け止め参考にする一方、全くデタラの単なる悪口には「負けてたまるか」「見返してやる」と自分を奮い起こすための材料にしているというのです。
こうして、めあここを比較すると、ここはちゃんを生徒会長に選んだことは、それぞれの性格を良く知ったうえで下した編集長の英断といえるのかもしれません。
結論
ということで、芽亜里ちゃんに足りないもの。それは”アンチ耐性”です。
まあ、ここはちゃん並に強くなれとはいいませんが、それでもニコラを卒業したらこれまでのように守ってくれる人・場所は無くなります。
今後、将来的に芸能界でやっていくには、もうちょっと視野を広く持ち、「ファンのみんなが、ファンのみんなが」と自分の支持者のみに囲まれた心地よいだけの環境に入り浸るのではなく、時には自分のファン以外にも、さらにはアンチに対しても、正面から向き合ってみることも必要なのではないでしょうか。