◆実は6回目?
明日26日の到着分をもって締め切りとなる、第5回ニコ☆プチモデルオーディション。
あの香音ちゃんを輩出した2002年募集の第1回オーデに始まり、以後毎年1回ずつ。今年で5回目を迎えるプチモオーデですが、「正確には6回目なのでは?」という意見もチラホラ。
そこで今日の三月の転校生では、このウワサを検証すると同時に、幻の第1回オーデについて振り返ってみます。
◆創刊号で募集
時は今からキッカリ10年前の2006年9月。「ニコラ10月号別冊」として誕生した、新しい小学生雑誌ニコプチ。
その誌面において、「第1回ニコプチモデルオーディション開催!」ということで、現在のオーデと全く同じタイトルにて、募集がかけられました。
その応募条件をみても、「身長145cm以上」「国籍不問」「女子小学生限定」となっていて、現行オーデとほぼ同様。唯一、違うとしたら「芸能事務所に所属していないこと」という点くらい。
ということで、実は第1回プチモオーデは、すでに10年前に実施済みだったことになります。
◆応募総数と合格者
では、幻の第1回オーデ。その応募総数と合格率はどんな感じだったのでしょうか。現行オーデと比べ、どのくらい違ったのでしょうか。
すると、応募総数は2854人。合格は松田侑花さん(当時は"下侑花")と前住愛美さんの2人だけで、合格率は0.07%となります。
2000年台になっての新生オーデは、平均応募総数約5000で、各回の合格者は5人前後。平均合格率は0.09%ということになり、難易度としては、今とそれほど差異は無いといえそうです。(⇒参考:オーデ実施データ)
◆コーデ選手権の前身か?
ここでちょっと、本家ウィキペディアのニコプチに関するページを見てみました。
すると、この旧制オーデ(2006年オーデ)についても記述があり、「コーデ選手権の全身」「今でいうコーデ選手権」とされています。
しかし、ここまで読んできた人には、この説明はイマイチ正確でないことが分かると思います。
◆コーデ選手とは?
そもそもコーデ選手権は、読者モデルを選ぶ場所。合格者に対して専属契約は無く、誌面登場は基本その1回限り。常連として出続けるには、毎回の応募が必要です。
読者代表という立場であり、もちろん撮影料も交通費も、編集部から出されることはありません。所属事務所を紹介されることもありません。
対して、旧制第1回オーデの前住さん&松田さんはどうだったでしょうか。合格後、2人とも正式にプチモとなり、松田さんにいたっては、表紙を複数回経験。ソロ表紙にもなっています。
事務所についても、編集部の紹介により、そろって仲良く研音への所属が決定。まさに現行オーデとほぼ同じ仕組みであったといえます。
◆旧制オーデの位置づけ
こうしてみると、旧制オーデは「コーデ選手権の前身」「今のコーデ選手権のこと」などと、一口に言い切れないことが分かってもらえたと思います。
やっぱり、旧制プチモオーデは、現行のプチモオーデの前身。オーデはオーデ。コーデ選手権とは全くの別物なのです。
◆幻となった真相
ただし、旧制オーデが実施された2006年から、新生オーデ初回募集の2012年まで、実に6年も間が空いてしまったことで、あえて新生を第2回として続けるのではなく、編集部判断で仕切り直し。
6年たてば、もはや当時の読者はいないし、覚えている人もいない。当初はニコラの編集部が、かけもちでニコプチも編集していたわけですが、当然スタッフも入れ替わっています。
そんなわけで心機一転。ゼロからのスタート。改めて2012年実施分を「第1回オーデ」として開催したというのが真相といえそうです。