■中学生雑誌6誌体制
中学生雑誌の全盛期は、2004年。今から、10年ほど前のこととなります。
現在の中学生雑誌といえば、『ピチレモン』と『ニコラ』の2誌だけですが、当時はピチレ&二コラに、現在は休刊となっている『ラブベリー』『ハナチュー』『メロン』『CANDy』の4誌を加えた、6誌もが発行されていたのです。
ということで今日は、中学生雑誌の創刊・休刊の歴史を整理した上で、相次ぐ休刊による"中学生モデル需要"の減少と、その影響について、詳しくまとめてみます。
■中学生雑誌創刊・休刊年表
■中学生雑誌の興亡
1986年創刊のピチレと、97年創刊のニコラの老舗2誌が先行。これに、上記年表にある通り、2000年代に入ってから、CANDy、メロン、ラブベの3誌が相次いで参入。
さらに、遅れること3年。同系誌中で最も新しい創刊となるハナチューも加わり、ここに「中学生雑誌6誌乱立時代」の完成となります。
しかし、さすがに6誌というのは、いくらなんでも供給過剰。その後まもなく、不人気な雑誌、売り上げの振るわない雑誌から順に、淘汰されていくこととなります。
■第1次休刊ブーム
転機は2005年。6誌の中で、最初に休刊となったのが、メロン。続いて、同年中にCANDyまでもがギブアップ。この年、一気に2誌が終焉を迎えます。
これにより、一般に「4大雑誌」「4大中学生ファッション誌」と呼ばれる、ピチレ、ニコラ、ラブベリー、ハナチューの4誌体制に移行。そのまましばらく、この4誌で切磋琢磨し、中学生雑誌界を盛り上げて行くことになります。
■第2次休刊ブーム
しかし、一見、安定・定着したように思えた4誌体制も、長くは続きません。再び休刊の危機が訪れます。それが、第2次休刊ブームとされる2011年から2012年にかけて。
ここでまず脱落したのが2011年に休刊となったハナチュー。6誌のうちで、唯一の「ギャル系」という独自の立ち位置からも、一定の固定読者をつかんでいた同誌ですが、時代の流れには逆らえませんでした。
さらにその秋には、ラブベリー。AKBをモデルに起用するといった一発逆転を狙う"テコ入れ"も実らず、年度末をもって休刊することを発表します。
ただし、この発表が、休刊予定の半年前と早かったことから、ひと悶着。同誌専属モデルたちは、イチ早く他誌移籍を模索するグループと、筋を通し最後までラブベリーに残るグループに分かれるという「事前大量流出騒動」もありました(以下で詳しく)。
■2誌体制へ
あとはご存知の通り、2012年3月のラブベリー休刊以来、ピチレ&ニコラの2誌体制が続き、現在に至るというわけです。
かつては、6誌もあった中学生雑誌。しかし、結局いまも残っているのは、最初に創刊したピチレと、2番目のニコラだけ。新規参入組は、いずれも撤退しています。
長く続くというのは、それだけしっかりした編集方針と、専属モデルのレベルの高さ。そして、出版社の"ホンキ度"のたまものといえそうです。
■休刊による影響
以上、ざっと中学生雑誌の興亡の歴史を振り返ってきましたが、いよいよここからが本題となります。
ある雑誌が休刊するということは、読者にとっては、単に他誌に乗り換えればいいだけですが、その専属モデルたちにとっては、まさに一大事。なにしろ、自分のお仕事がなくなるのです。
実際、各誌おおよそ20人前後の専属モデルやレギュラーモデルがいるわけで、それらが立て続けに休刊になると、どんな影響が出てくるでしょうか。
■他誌への移籍を目指す
すると、上で見てきたように、これまで、実に4誌もが無くなっているので、ざっと数えも、約100人程度の"失業者"が出たわけです。
となると、モデル本人はもちろん、そのモデルを擁する事務所が困ります。そこで当然に、というか、自然な流れとして、事務所主導による同系他誌への移籍が模索されることになります。
ということで、以下、これまで休刊した4誌について、その専属モデルの移籍ケースを、個別具体的に見ていきます。(「移籍」ということで、主に、同系誌、つまりは同じ中学生雑誌へ移るケースを取り上げます。「昇格」「昇進」といえる『セブンティーン』や『ノンノ』など、お姉さん誌へ移るケースは基本的に除いています)
■メロンの場合:天てれ⇒ピチモコースの確立
メロンの専属モデル、通称「メロモ」。同誌は、ハッキリとした専属契約という形態は取っていなかったようですが、それでも休刊時に30人程度のレギュラーモデルがいました。
そこから、他誌へ移ったケースはというと、ピチレに移籍となった篠原愛実ちゃんが代表的。愛実ちゃんは、ピチレ卒業までに表紙2回、うち着物表紙1回と、世代トップクラスの人気ピチモに成長。しかも、一木有海ちゃん、藤井千帆ちゃん、重本ことりちゃん、岡田結実ちゃんと続く「天てれ⇒ピチモコース」の開拓者にもなったわけです。
一方、ニコラも引き受けます。宮城夏実さんと、三原勇希さんの2人が、ニコラに移籍となりました。夏実さんは、意外と知られていないですが、鶴嶋乃愛ちゃんが第11代を、吉村花音ちゃんが第10代をといった具合に、歴代ピチモの指定席とされるプリウリモデル、通称プリモの記念すべき第1代。他方、勇希さんはといえば、そのままニコラでエース級にまで成長しました。
■CANDyの場合:ひっそり終焉
自前オーディションを実施し、専属モデルも抱えるCANDyですが、休刊後、同系中学生雑誌への「横の移籍」は、とくにナシ。
■ハナチューの場合:ギャル系の忌避
すでに書いたように、中学生雑誌としてのハナチューは異色の存在。6誌中で最も「ギャル系」と称されるように、モデルのメークは濃く、髪も茶色。最も「正統派」とされる、黒髪ルール(当時)のあったピチレとは、まさに対照的な存在でした。
そんなこともあり、ピチレへの移籍はゼロ。で、ニコラに移ったのがほのかりんさん。りんさんは、ギャル系の持ち味をのままにニコラで活躍します。しかも、そのキャラ・立ち位置は、ニコモとしては、おそらく前代未聞となる「巨乳キャラ」「グラビア系」。本誌巻末の撮影日記では、「撮影で用意された服が、胸が大きすぎて入らない」といったエピソードも披露されたりしました。
■ラブベリーの場合:泥船からの脱出
ラブベリーの休刊については、上で触れたように、半年前に公表されるという異例のケースでした。
そうなると、当然に専属モデルたちは、それぞれ身の振り方を考えるわけです。このまま最後までラブベリーに付き合うのか。それとも、早いうちに、他誌へ移籍するのか。
で、真っ先に動いたのが、エヴァーグリーン勢。なんと、当時のラブベリー次期エース候補1番手とされた未来穂香ちゃんを、突然ピチレに移籍させます。
ピチレとしては、当時のピチモが30人を超えていたこともあり、人気&知名度抜群の穂香ちゃんだけが欲しかったわけですが、そうは問屋がおろしません。けっきょく「抱き合わせ」よろしく、穂香ちゃんに加え、同事務所のラブベリーモデル3人を、まとめて引き受けることになりました。
なお、この3人に、当時は新人扱いで、モデル実績ほぼゼロの長崎すみれちゃんがいました。この加入経緯を知る人にとって、まさかすみれちゃんが、新天地のピチレで、最終的に「ののすー」としてトップモデルにまでなるとは、想像できなかったところです。
一方、残留組。休刊が決まっても、半年後の休刊号まで、ラブベリーモデルをやり遂げた中に、森高愛ちゃんがいます。もちろん、その後に愛ちゃんは、非オーデでピチレに来るわけですが、こちらも、すみれちゃんと並び、ピチレでも大人気ピチモとなったのは言うまでもありません。
ちなみに、ラブベリーからニコラへの移籍ケースは、ピチレの同ケース5人と比べ、大幅に少なく、たった1人だけ。ニコラは、おはガールとしても有名な岡本夏美ちゃんを獲得しました。
■中学生モデルは供給過剰
2004年当時、中学生モデルの総数は、ピチモの53人を最多に、6誌あわせて約150人といったところ。それが、現在の2015年はどうでしょう。
ピチレ27人に、ニコラも27人。つまり、中学生モデルの枠は、10年前から、なんと100人も減ってしまっているのです。
その一方で、昨今のAKB人気によるアイドルブームから、芸能志願者、モデル・女優志望の小中学生女子は増えるばかり。
まさに、現在の中学生モデル界は、少ないモデル枠に対して、希望者多数の供給過剰。となると、芸能事務所としては、自社タレントを、非オーデだけでなく、一般オーデを使ってでも、専属モデルに押し込みたい。
そんな意図が、去年のピチモオーディションにおける、「合格者の75%が芸能事務所所属者」という結果になったのかもしれません。
■まとめ
いずれにせよ、新たな中学生雑誌の創刊は当分無いことからも、中学生雑誌の専属モデルになるためには、今あるピチレ&ニコラで合計50枠というポストを奪い合うしかありません。
今後、モデルに憧れる一般の女子小中学生はもとより、事務所に所属するモデル・女優志望のタレントさんにとっても、ますます激しい競争となりそうです。