◆晴れ着表紙はいつから?
今ではすっかり定番となっている2月号の晴れ着表紙ですが、そもそもこの伝統は、いつから始まったのでしょうか?
ニコラに加え、休刊中のピチレモンにハナチュー、旧ラブベリーも含めた、かつての4大中学生雑誌について、それぞれ晴れ着表紙の起源をたどることで、いったいどこが最初に始めたのか。
また、どこがマネして、晴れ着を取り入れるようになったのか。各誌の歴代2月号の表紙について、詳しく検証してみます。
◆晴れ着表紙データ
◆各誌最初の晴れ着
◆データの見方
上に示した一覧表は、左から順にニコラ、ピチレ、ラブベリー、ハナチュー各誌の2月号の表紙データです。
表紙が晴れ着だった場合は「○」印が。晴れ着以外であった場合は「×」印が入っています。
また、雑誌が休刊となり、その年の2月号の発売がなかった場合は、背景を灰色とし、空白となっています。
◆起源はニコラ
中学生雑誌の2月号の表紙として、1番最初に晴れ着が登場したのは、2007年となります。
上の一覧の通り、その年、4大誌のうちでただ1誌だけ晴れ着を採用したのがニコラで、当時のトップクラスの人気ニコモ岡本玲さん&伊藤沙耶さんのツーショット。
ということで、セブンティーンやポップティーンといったお姉さん雑誌の状況は別にして、少なくとも中学生雑誌における晴れ着の起源はニコラであることが分かります。
◆他誌は追随
で、その1年後。2008年になると、さっそくラブベリーが、さらに2年後となる2009年にはピチレが追随し、ニコラに倣って晴れ着表紙を導入します。
うちのサイトの表紙ギャラリーを見てもらうと明らかなように、ピチレは当時で22年もの歴史がありながら、2009年が初の晴れ着。当時のピチモのツートップ前田希美ちゃん&黒田瑞貴ちゃんが登場しています。
一方、現在の復刊ラブベリー(LOVE berry)ではなく、2012年に休刊することになる旧ラブベリーは、2008年が初の晴れ着表紙。朝日奈央さん&坂田梨香子さんのツーショットとなっています。
◆わが道を行くハナチュー
そして、4大誌のうちで、唯一晴れ着表紙をやらなかったのがハナチュー。上の一覧でも、オール「×」となっているのが分かると思います。
それにしてもさすがは、ハナチュー。極端なギャル路線を突っ走っただけあり、こうして晴れ着には見向きもせず、1度も表紙にしないまま、2011年の休刊を迎えることになりました。
◆晴れ着が消えると休刊のサイン?
ちなみに、ちょっと面白い傾向を1点、指摘しておきます。それは、長年続いてきた晴れ着表紙が突然中止となると、その年内に休刊する法則です。
具体的には、ピチレとラブベリー。ピチレの場合、2008年から2014年まで、実に7年連続で晴れ着表紙が続いていましたが、2015年の2月号で、なぜかストップ。で、その年をもって休刊となってしまいました。
また、ラブベリーの場合は、すでに半年前に休刊がアナウンスされてはいましたが、休刊直前となる2012年の2月号の表紙は、それまで4年連続で採用されていた晴れ着がストップ。
こうしてみると、まさに表紙から晴れ着が消えることは、近いうちの休刊の前兆。ようするに、編集部にとってめでたくないといったところでしょうか。
◆まとめ
以上見てきたように、導入順は「ニコラ⇒ラブベリー⇒ピチレモン」。中学生雑誌の晴れ着の起源は、ニコラであることがハッキリしました。
やはり、4大誌のうちで圧倒的な部数を誇り、現在はティーン誌ナンバーワンにまでなったニコラ。率先して新しいことを取り入れ、他誌を牽引してきたことが分かります。
ということで、「晴れ着ナシ=休刊の法則」に則ると、来年以降も、2月号の表紙から晴れ着が消えない限り、当分ニコラは安泰といえそうです。