自力消滅
3月号の表紙が出たことで、現高1世代の最終的な表紙回数が、事実上確定しました。
もちろん、次の卒業号で太田雫ちゃんが初表紙になることは確実なわけですが、結局のところ雫ちゃんは卒業までの間に、自力で表紙になることができませんでした。
ということで今日は、これまで5年間続いてきた卒業の前までに全員が表紙を1回以上経験できるルールの崩壊について検証します。
ルールはいつから?
そもそも、「ニコモ全員が卒業までに必ず1回以上、表紙を経験できる」というルールが始まったのはいつからなのでしょうか?
そこでちょっと、以下に示す「歴代卒モ表紙回数一覧」を見て下さい。
これは過去10年分、卒業年次別に全ての卒モにつき、最終的な表紙回数をまとめたものです。
一覧の見方
名前の横にある「カッコ内の数字」が表紙回数。各世代ごとに、回数が多い順に左から並べています。
また、名前が薄い灰色になっているのは、それぞれの事情により集計から除外したコ。
21年卒の高田凛ちゃんと、20年卒のオルトン花菜ベティさんは、個人的な理由により中3のうちに卒業しています。
19年卒の溝部ひかるさんは、中3の秋から半年ほどの休業期間を挟んで卒業直前に復帰しています。
歴代卒モ表紙回数
ルールの適用状況
歴代卒モの最終的な表紙回数はこんな感じ。
「誰もが卒業までに1回以上経験できる」ということは、卒業号の”卒モ全員表紙”を含め、最終的な表紙回数が「2回以上」となるわけです。
こうして見ると、最低ラインが「1回」、つまり卒業号でしか表紙になれなかったコがいた世代と、最低ラインが「2回」に増えた世代との境界線がハッキリ分かります。
境界線
この通り、2014年から2017年まに卒業した黒崎レイナさんや、清水凜花さんといったところが、最低ラインの「1回」で卒業しています。
一方、2018年からは誰でも卒業までに1回以上表紙ルールが導入され、加藤咲希ちゃんや北川花音ちゃんといったところが「2回」で卒業しています。
編集長を重ねると?
これに、その時々の編集長名を重ねてみるとどうなるか。
すると、眞部編集長時代は最低ラインが「1回」。
対して、小島編集長になった途端、それが「2回」へと増加します。
よって、明らかに「最低2回ルール」は小島編集長が新たに持ち込んだことが分かります。
編集長次第
で、今回。雫ちゃんが卒業までに表紙になれず、再び最低ラインが「1回」へと戻りました。なぜか。
答えはもちろん、去年の夏に、ルールの創設者である小島編集長が退任し、新たに久保田代行に交代したからに他なりません。
要は、その時々の編集長の方針次第というわけです。
割りを食った
ということで、まさに雫ちゃんは、一連の編集長交代劇の狭間にあり、割りを喰ってしまった感じ。
生まれがあと1年早く、学年が1コ上だったなら、いまごろすでに1回以上表紙になれていて、最終的に表紙2回で卒業を迎えることになっていたはずです。
正常化
とはいえ、モデル業は人気商売。卒業まで、1度も表紙になれないコがいるのも当然といえば当然であり、ようやくあるべき姿に戻ったともいえます。
無駄に平等を演出し、小島編集長が「卒業前に誰もが表紙になれる」なんて制度を気軽に始めたものだから、大量9人もいた05line世代においては、前代未聞となる「卒業号以外で全員表紙(21年9月号)」なんていうノルマの強制消化を行わざるを得なかったのですから。
そんなわけで、ニコラの”表紙の価値”を維持する上でも、今回の新編集部の選択は正しかったと考えます。