■憧れは可鈴ちゃん
今月号「ピチレモン」の裏ピチページ。ここに、山口乃々華ちゃんと、卒ピチモ特集の取材で編集部にやってきた荻野可鈴ちゃんとのツーショット写真が掲載されています。
で、その写真のところに、編集部コメントとして、「ののは、かりんに憧れてピチモオーディションを受けたほどのかりんファン!」とあります。
これを読んで、「へぇ~、そうだったんだぁ」とちょっと意外な印象。そこで、さっそく、うちのピチレモンWikiで確認してみると、ちゃんと、ののちゃんのプロフィールページの「エピソード」欄、上から5個目の項目に、しっかり「荻野可鈴に憧れてピチモになりたいと思い、ピチレのオーディションに応募する 」と書いてありました。
⇒参考:ののプロフ
■かりん暗黒時代
ちなみに、ののちゃんが可鈴ちゃんに憧ていたというのを読んで、なぜ意外に思ったか。それは、可鈴ちゃんのピチモでの活動歴によります。以下、可鈴ちゃんのあゆみを簡単に振り返ってみます。
まず、可鈴ちゃんがピチモに合格したのが2008年。大エース志田友美ちゃんと同期となります。
ただし、せっかく憧れのピチモになったものの、その後の可鈴ちゃんは鳴かず飛ばず。本人も今月号の卒ピチ特集で語っているように、「ピチモ時代の前半は、ただのコドモ」。また、2012年4月号の卒業特集では「中2までは黒歴史」。
ようするに、ピチモになって最初の2年(2008年&2009年)は、ピチ撮でダメ出しされ続け、ほとんど本誌に出番がなかったわけです。
■遅咲きの努力家
そんな可鈴ちゃんですが、持ち前の努力で、なんと中3になってから、徐々に人気が上がります。このあたりの過程について、詳しくは、うちのWikiのエピソード欄を参照。(⇒参考:かりんプロフ)
そして中3の終わり。ついに念願の初表紙となるわけですが、この表紙になるまでにかかった期間「31か月」というのは、歴代で最も遅い記録。まさに、「可鈴ちゃんはピチモで最も苦労人」と評される由縁です。
■初期かりんに憧れて
そこで、ののちゃんです。以上みてきたように、人気が定着して、本誌での活躍も増えてきた中3以降の「後期かりん」に憧れる読者が多数いたことはいうまでもありません。
しかし、ののちゃんがオーデを受けたのは小6のとき。とすると、2008年から2009年にかけて、まさに、干され時代である「初期かりん」に憧れていたことがわかります。