三月の転校生

中学生雑誌nicolaに関する日記

イメモ3大ブランド体制ができるまで

イメモデータ

イメモ予想で使ったデータでも、うちのサイト「ニコ♥プリ」でも、歴代イメモ一覧は”ブランド別”に初代から並べたものとなっています。

そこで今回、ちょっと歴代イメモのリストを”年度別”に並べ替えてみました。

これにより、ブランドごとの起源に加え、横の比較が。つまり、どこのイメモにエースが配置されるのかといった、各ブランドごとの強弱も見えてくることになります。


データの見方

以下の一覧は、レピピ、ピンクラテ、ラブトキの歴代イメモを、年度ごとにまとめた完全版です。

各イメモの名前の下のカッコ内には、「最終的な表紙回数」と「高1時の役職名」が入っています。

なお、高嶋芙佳さんのように2年連続、もしくは藤麻理亜さんのように3年連続でイメモを担当した場合、その2期目、3期目は空欄とし、データ欄には「下向きの矢印」を入れています。

歴代イメモデータ(年度別)



イメモの起源

2010年にレピピの初代イメモとなったのが川口春奈さん。本格的にイメモ制度のスタートです。

そこから1年遅れて、ラブトキのイメモになったのが藤さん。藤さんの場合、正確には「初代」ではなく「2代目」ということになります。

では、そんなラブトキの初代は誰だったのかといえば、ニコラのライバル誌ピチレモン(2015年休刊)のエース前田希美さんでした。

ラブトキがニコラにやって来た

当時のナルミヤ・インターナショナルは、ピチレではラブトキとブルクロ。ニコラではポンポとリンジィ。ラブベリー(2012年休刊)ではメゾピアノといったように、自社の展開するブランドを”すみ分け”

イメモも、当然ながらそれぞれの雑誌のモデルを起用していました。ニコラでいば、飯豊まりえさんがポンポの、西内まりやさんがリンジィのイメモだったのは有名な話。

ところがその後、ラブトキの人気上昇や、ピチレの部数減、不人気ブランドの整理縮小といった様々な要因により、結果的にラブトキの本拠をニコラに乗り換えたというわけです。

ラテ参戦で3大ブランド体制に

さらにそこから3年たった2014年。いよいよ表紙17回を誇る大エース高嶋さんを初代イメモに据え、ピンクラテの参戦です。

その後もラテは、2代目に鈴木美羽さん、3代目に香音ちゃん、4代目には秋田汐梨ちゃんとエース級をズラッとそろえ、一気にイメモとしてトップの地位を築き上げ上げることになります。

とにかくこうして、2014年度から「イメモ3大ブランド体制」がスタートすることになったのです。