◆現役時のナンバーワンは?
歴代のピチレモン専属モデルが、現役時代に到達した最高の身長は何センチで、それは誰の記録でしょうか。
また、170台のピチモが現役で複数いた時期はいつごろで、最高何人までが同時に存在ていたでしょうか。
さらには、現役ピチモの平均身長が最も高かった時期はいつころだったのでしょうか。
今日の三月の転校生では、卒業までに身長170cmを超えたピチモについて、年代別にまとめた上で、高身長ピチモの歴史について考えます。
◆現役時到達身長ランキング
178 吉村花音(2015卒) 174 古川優奈(2015卒) 172 五十嵐ありさ(2015卒) 171 江野沢愛美(2013卒) 171 山崎紗彩(2015卒) 171 佐藤栞里(2007卒) 171 黒田瑞貴(2011卒) 170 中田あすみ(2003卒) 170 小川涼(2015卒)
◆年度別170超の人数
◆集計ルール
対象は、手元に正式な身長の資料(本誌付録ピチモ名鑑など)がある、2003年以降に卒業した全ピチモとします。
グラフは、各年の夏時点における身長データを基にしています。よって、その年の秋冬になってから170に到達した場合は反映されず、翌年扱いとなります。
なお、本誌巻末のプロフィールページで、全員の身長データが毎月発表されるようになったのが2010年以降であるため、それ以前のデータには多少の誤差があるかもしれません。
◆170台は稀少
いくらファッション誌のモデルとはいえ、メンバー構成は中学生の女の子がメーンであり、となるとさすがに身長170以上は少ないもの。
実際、図表下段の「年間人数グラフ」からも明らかなように、170台のモデルは1年を通じて常に1人だけ存在するのが普通といった感じです。
◆年間1人がフツー
具体的には、2003年こそ、最近すっかりタレントとして売れっコとなった佐藤栞里さん&中田あすみさんの2人が170台として存在しましたが、中田さんの卒業により、2004年から2006年にかけては佐藤さんの単独。
で、その佐藤さんが卒業すると、1年の空白期(2007年)を置き、2008年から2010年にかけての170台担当が、歴代ピチモの中でモデルとしての完成度ナンバーワンとされる黒田瑞貴ちゃん。
そして2011年。(黒田)みみちゃんが卒業すると、まさにそれに合わせたかのように現セブンティーンの江野沢愛美ちゃんが170に到達。
ということで、こんな風に2012年までのピチレにおいては「170台の高身長担当ピチモは常に現役で1人だけ」という暗黙のルールが存在していたかのようでした。
◆一気に倍増
ところが、2013に転機が訪れます。(江野沢)まなちゃんの卒業後、後を継ぐ170台ピチモが倍増したのです。
それが、前年にニコプチからやってきた五十嵐ありさちゃんであり、さらにはオーデ応募時すでにイキナリ170cmを超えていた吉村花音ちゃんの2人。
この2人の加入により、一気にピチモに高身長ブームが訪れることになります。そしてこのブームは、翌年以降、さらに盛り上がっていくことになりました。
◆さらに増加
もちろん前年到達の2人はそのままに、さらに2014年は小川涼ちゃんまでが170に到達します。
これで3人目。もちろん170台ピチモ3人の現役同時存在は、この時点でピチレ史上初のこととなります。
で、ラストとなる2015年。アリサちゃんの卒業と入れ替わるように、今度は山崎紗彩ちゃんが170到達。オマケに最後のオーデでは、これまたイキナリ170超の古川優奈ちゃんが合格。
なんとなんと、2015年は前年よりさらに1枠増やし、身長170台が現役に4人も存在するという事態になったのでした。
◆平均身長も最高レベル
ちなみに、ピチモ全員による平均身長が最も高くなったのも、この2015年の休刊直前の時期。上記170超の4人の他にも、杉本愛莉鈴ちゃん&石田美月ちゃんの"170cm目前コンビ"がいました。
ということで、休刊直前のピチレは「3コ上オトナ路線」を着実に実行するため、オーデ・非オーデ問わず、高身長モデルを集めるべく努力していたことが伺えます。
◆まとめ
2014年や2015年あたりからピチレを読み始めた人はもちろん、古くからのピチ読にとっても、ここ数年の"170台が常に3人&4人いる"という現状に慣れてしまっていることから、「ピチモは、さすがにモデルだけあって身長が高い」といったイメージがあるかもしれません。
しかし、最初に出したランキング表&人数グラフの通り、そんなイメージはあくまでもここ最近の、それこそ直近2~3年こと。
もとはといえば、2000年から170台ゼロが長らく続き、ようやく中田さんが170に到達。その後、佐藤さん、みみちゃん、まなちゃんといったように、2012年までの10年ちょっとの間、170台は基本現役で1人だけ。
まさに高身長ピチモの多数同時存在という事態は、ピチレの歴史の中でも最終盤に入ってからというのがホントのところであったといえます。