三月の転校生

中学生雑誌nicolaに関する日記

ピチモ大陸vol.1(すーちゃん編)

すみれちゃん特集

f:id:GYOPI:20150524002904p:plain:right歴代ピチレモン専属モデルの中で、ナンバーワン級の苦労人、かつ努力家。編集部や事務所からの"推され"とは無縁で、全くの"干され"状態から、自分の力と読者の支持のみにより、トップクラスの人気ピチモへと登りつめたモデルさん。

ーーーといえば、真っ先に名前があがるのが、2015年1月号で卒業したばかりの、長崎すみれちゃんではないでしょうか。

ということで、ピチモ卒業生を取り上げて、その歩みを振り返る三月の転校生の新連載「ピチモ大陸」シリーズ、記念すべき第1回は、そんなすみれちゃんに関する特集です。

すーちゃん移籍経緯

すみれちゃんのピチモ加入経緯は、すでに多くの方がご存知の通り、それまで専属モデルを務めていたラブベリー休刊による移籍です。

しかし、その移籍というのがいわくつき。なにしろ、同じラブベリー休刊による移籍でも、森高愛ちゃんのような、単体移籍ではなく、ごっそり丸ごと事務所単位での移籍だったのです。

具体的には、当時のラブベリーの主要事務所「エヴァーグリーン」の所属者4人が、一挙まとめてピチレに来たわけです。

おまけ的扱い

一方で、受け入れ側のピチレとしては、もちろん同事務所の全員が欲しかったのではなく、あくまでも、狙いはラブベリー次期エースの座が確定していた大人気モデル未来穂香ちゃんと、「おはスタ」でおなじみの井之上史織ちゃんだけ。

ようするに、当時、ラブベリーに加入したばかりで、モデルとしては何の実績もなかった、すみれちゃんは、まさに"おまけ"程度に考えられていたわけです。

不遇のピチレ加入初期

実際、すみれちゃんのピチレに入ってからの待遇が、ハッキリとそれを裏付けています。

加入当初、明らかに"干され"を地で行く、ごく少ない登場数。すみれちゃん本人も、卒業に際しピチレ時代を振り返る「ピチレ自己採点年表」(2015年1月号掲載)の作成に付き、"加入まもない頃"のところに、最も悪い点をつけています。

とにかくこうして、すみれちゃんのピチレ初期は、まさに不遇時代。ほとんど出番が与えられず、ましてや表紙など、とても考えられなかったわけです。

本領発揮

しかし、すみれちゃんは、負けませんでした。少ない登場数ながらも、じょじょに、本領発揮。逆転劇が始まります。

持ち前の「パッと見の可愛らしさ」はもちろん、「周囲への気配り&やさしさ」、「関西人としてのギャグセンス」、そして何より、後に"ピチレのおしゃれ番長"と称されるようになる程の「抜群のファッションセンス」などなど、実は、魅力いっぱいの女の子であることが明らかになってくるわけです。

すると、それに伴って読者人気も、みるみる上昇。加入から、わずか半年たらずで、編集部も、初期の認識を改め、急遽「すーちゃん推し」に切り替え始めます。

ピチレ編集部の良いところ

ここで、ピチレ編集部のいいところを1つあげるとすると、なにより読者の声に敏感な点です。(悪く言えば「変わり身の早さ」)

もちろん、編集部や、事務所の意向といった"オトナの事情"で、推しが決まるケースも十分あるわけで、というかむしろ、そのほうが多いのかもしれません。

しかし、その一方で、ピチレは読者の意見にも敏感です。読者アンケートやネットの会員の声、開放日やイベントでの評判などなど、読者の"生の声"がすごく大事にされ、それが誌面づくりに生かされます。

すみれちゃんのケースは、まさに読者の声が編集部を動かした代表例といえるのです。

私服対談から初表紙

で、すみれちゃんの歩みに話を戻します。加入して半年後となる、2012年4月号が1つの転機。ここから、すみれちゃんの活躍が始まります。

その直接のきっかけとなったのが、関紫優ちゃんとの「おしゃれ私服対談」。見開き2ページを使う大型企画で、これにより、すみれちゃんが「おしゃれ代表」として定着することになります。

さらに、その余勢を駆って、同年7月号で、イキナリピチレ最大の企画「水着特集」のスタジオ組に選抜。メーンのロケ組ではありませんが、福原遥ちゃんとのツーショットで、存在感を示します。

続く8月号では、ピチモ歴わずか10ヶ月で、はやくも初表紙に大抜擢。これにより、完全に次期エース候補の一角として、その名前が広くピチ読に認識されるようになりました。

ピチモ歴1年で100質

そして、極め付けが、同年12月号の「すーちゃん100質」。なんと、ピチモ歴1年足らずで、個人特集まで行ったのです。

まさに、「人気が出始める⇒本誌登場が増える⇒さらに人気が出る⇒さらにさらに登場が増える」の好循環を地で行く活躍。

ののすー時代到来

ピチレモン 2013年 04月号 [雑誌]明けて2013年。すみれちゃん高1の年。このころになると、次期エース確定の山口乃々華ちゃんと、すみれちゃんとの「ののすー」コンビが本格的に始動します。

同年4月号では、もはや伝説になっている「ののすーツーショット表紙」に加え、中身のメーン企画が「ののすー着まわし40日」という、1冊丸ごと「ののすー号」。

その後も、続く7月号では2年連続で「水着特集」に参加したり、秋には「ブルクロのイメモ」が決まったり、大型企画「ディズニーロケ」に参加したりなどなど、その活躍はとどまるところを知りません。

卒業延期が決定

さらに明けて2014年、高2となったすみれちゃん。残念ながら、4月号では、卒業が待っています。

しかし、愛ちゃん曰く「卒業しないでー!という読者の声により残留が決定」ということで、めでたく、ののちゃん&愛ちゃんとともに、卒業の延期が決定します。

すると、5月号では、大型連載「テラピチハウス」レギュラーが決定。7月号では、3年連続の水着ロケ。8月号では、ソロで「すーちゃん着まわし日記」。

10月号では「ピチモ学力テスト」に最年長として高2から単独で参加などなど、ラストとなる2015年1月号まで、活躍を続けました。

まとめ

以上見てきたように、加入から最初の半年が、干され時代。で、それ以降が一転して、トップモデルへと駆け上がることになります。

以下のリンク先、すみれちゃん個別プロフィールの「ピチモの歩み」にある、主要登場ページ歴を見ると、よりハッキリします。2012年4月号までがほぼ空白なのに対し、それ以降はギッシリ詰まっています。

ということで、「読者の声が人気ピチモを作る」「読者がピチモを育てる」。そんな、最大の成功例として、すみれちゃんのケースは、今後もピチレの歴史に残るものとなりそうです。
長崎すみれプロフ