■歴代最高のピチモは誰?
先日の日記で、「ピチモオーディション応募用紙の見本写真=エース」ということを書いたとき、その証拠として、歴代の見本写真に出たピチモを紹介しました。(⇒参考:ピチモのエース判定法)
ちょっと振り返ると、2008年の吹田祐実ちゃんから始まり、2009&2010が前田希美ちゃん、そして2011&2012が志田友美ちゃん。で、2012が関根莉子ちゃんで、今年が福原遥ちゃんといった具合。
もう、名前を一見しただけで、その時代時代を代表する真のエースが、毎年の見本写真を務めていることが分かったわけです。
とはいえ、新しい読者の中には、りこはるはもちろん、さすがに「すイエんサー」によって、まえのんや、ゆうみんまでは知っているものの、「ふっきーって誰?」という人が、意外と多いかと思います。
そこで今日の三月の転校生では、実は歴代エースの中で「史上最強のピチモ」との呼び声も高い、ふっきーこと吹田祐実ちゃんについて、そのスゴさを説明してみたいと思います。
■みんなの憧れナンバーワン
2008年のオーディションで合格した、ゆうみんこと友美ちゃんは、当時の大エース、ふっきーに憧れてピチモオーディションを受けました。去年の公式ブログにも、自身のモデルとしてのこれまでの取り組みに関し、「ピチレのエースだった吹田祐実ちゃんが大好きで、ふっきーのポーズを写メ撮っておいて、手が空いたとき、常に見ては覚えての繰り返し」とあります(⇒参考:ゆうみんブログ)。
友美ちゃんは、ピチモになる前はもちろん、こうやって合格してからも、ポーズの勉強に、ふっきーを参考にしていたことが分かります。
こうして、友美ちゃんの例に限らず、とにかく当時のふっきーは、ピチ読&ピチモも含め、誰もが憧れる、そんな大きな大きな存在であり、めちゃめちゃ影響力も大きかったわけです。
■表紙回数にみるふっきーの偉大さ
ふっきーの偉大さは、表紙回数からも明らかです。まずは、以下の、卒業生&現役含めた「全ピチモ表紙回数ランキング表」を見て下さい。
すると、パッと見、ふっきーの13回というのは、それほどすごいものではないとも思えます。実際、単純に回数でいったら、6人ものピチモが、ふっきーの上位にいたりするわけです。
しかしここに、数字だけを見たのでは理解できない、大きな落とし穴があります。実は、上位4人いずれもが、高2の卒業までしっかりピチモを務めたのに対し、なんと、ふっきーは、中3の夏に、突然卒業してしまったのです。(将来の夢である「薬剤師」の資格を取る、その第1歩として、目標の高校に入るために学業専念)
つまり、現在の「高2卒業ルール」を基準にすると、他のメンバーと比べ、ふっきーは、なんと平均して2年も、ピチモ歴が短いわけです。
ということで、ピチモ歴24か月のマイナスを頭に入れて、改めてランキングを見るとどうでしょうか?
■歴代全ピチモ表紙回数ランキング
1位 28回 志田友美 2位 27回 江野沢愛美 3位 23回 前田希美 3位 23回 壁谷明音 5位 16回 黒田瑞貴 6位 15回 関根莉子(現役) 7位 13回 吹田祐実
■推定される表紙回数
ふっきーが卒業した直後である中3~高1という時期は、ピチモにとって、まさに最も活躍できる世代。そんな全盛期を前に、スパッと卒業ということで、ここから仮定のお話に入ります。
もしも、ふっきーが卒業せず、そのまま高2の始めまでの標準期間、ピチモを続けていたら、いったい表紙は何回まで行ったでしょうか?
すると、それまでふっきーは、中1~中2にして、年に平均8、9回ペースで表紙をやっていました。この勢いを考えた上で単純計算すると、残り2年で17~18回。
ということで、実際の記録の13回に、上記想定分を加えると、なんとなんと、歴代ピチモが誰一人なしえなかった、夢の表紙30回を、優に突破するのです。
■前人未到の表紙30回!
歴代最多記録保持者ゆうみんで28回。セブンティーンに行った江野沢愛美ちゃんで27回。まえのんでも23回。
現役のトップ、莉子ちゃんは、現時点で15回。卒業まで、あと1年2か月残っているわけで、仮に今後、全部の号で表紙に出たとしても、29回止まりです。
ようするに、現時点では、現役&卒業生含め、誰一人として表紙30回に達していません。しかし、上で計算したように、ふっきーだけは別。もしも道半ばでの卒業がなかったなら、楽々30回を超える存在だったわけです。
■まとめ
以上、表紙30回ネタを中心に、ふっきーの偉大さを解説してみましたが、どうだったでしょうか。
それにしても、卒業が「高2進級時」となった現在では、もはや、表紙30回を超えるピチモは、おそららく今後、出てこないと思います。そんな意味でも、ふっきーの「幻の30回」については、ぜひぜひその達成を実際に見てみたかった気もします。
とにかく、ふっきーは卒業と同時に芸能活動もやめてしまったことから、当時の読者以外には、なかなか知られていませんが、実は「最も人気があったピチモ」「最も活躍したピチモ」の1人であることは、明らかといえます。
⇒参考:吹田祐実プロフィール