■ピチモになる方法
ピチモになる方法については、うちの「ピチモオーディション予備校」にて、すでに詳しく解説していますので、ここでは簡単に説明します。
第1に、もっとも基本的な方法が「ピチモオーディションを受けて合格すること」です。これは、誰にでもチャンスがあるわけです。
続いて第2に「顔見せ」。事務所に所属しているタレントさん(新人も含む)が、マネージャーさんを伴ってピチレ編集部まで出向き、面接を受け、その結果により採否が決まります。正規オーディションを通さないため、いわゆる「非オーデ」とも呼ばれる方法です。
そして第3が今日のテーマでもある「他誌モデルからの移籍」です。ただし、この方法は、ピチレ以外のファッション雑誌の休刊や、その他の特殊な事情による、例外的なもので、実際、去年の7月以来、ずっと1年半も、この方法での採用実績はありません。
また、当然に採用に際しては面接が行われますので、より正確にいうと、上記「顔見せ(非オーデ)」に含まれることにもなります。
■移籍経緯年表の見方
ということで、ピチモになる方法について、ひととおり復習が済んだところで、さっそく今日のテーマである「他誌からの移籍によってピチモになったケース」につき、過去の全員分の移籍経緯を年表にして、詳しく見ていきましょう。
なお、以下の表中の、赤いマークにつき、「ラブベ」というのは、ラブベリーからの移籍を意味し、「プチ」というのはニコプチからの移籍を意味します。また、「プチ→ラブベ」となっているのは、ニコプチからラブベリーに移籍し、さらにその後、ラブベリーからピチレに来たケースを意味します。
■移籍経緯年表
■個別に移籍経緯を解説
まずは、最も古い移籍の例から解説します。2011年の8月に、関紫優ちゃんがピチレに来たのが、他誌移籍ケースの起源。それまでは、ライバル誌『二コラ』の姉妹誌である『ニコプチ』から、その卒業生がピチモに入ってくることは想像できないことであり、まさに前代未聞の移籍劇とされました。
とにかく、紫優ちゃんは、中2になりたての春にニコプチを卒業し、そのまま、3カ月の冷却期間をおいて、同年8月、ピチレの専属モデルにやってきたわけです。
ちなみに、紫優ちゃんと一緒にニコプチを卒業したのが、森高愛ちゃん&飯豊まりえちゃん。この3人の中で、同期トップの位置づけだったまりえちゃんは、順当に二コラへ移籍。そして、以下で詳しく触れますが、愛ちゃんはラブベリーへと移籍。これに、紫優ちゃんのピチレ行きを含めると、この年のニコプチ卒業生3人は、なんと全員の行き先がすんなり決まったことになります。
■元ラブベのエバーグリーン勢一括引き受け
2011年10月、当時のラブベリーの現役トップモデルであった未来穂香ちゃんをはじめ、井之上史織ちゃん、加藤由梨愛ちゃん、長崎すみれちゃんの同事務所4人が、突然に同誌を卒業。そのまま、まとめてピチレに移籍してきました。
なにしろ、ラブベの次期エースともされる、ほののんが移籍してくるということで、突然ラブベをやめた理由を含め、大きな大きな話題となりました。
このあたりの経緯については、うちの日記「ラブベリー休刊ドキュメント」に詳しくまとめてありますので、興味のある人は、そっちも読んでみてください。(⇒休刊ドキュメント)
■ラブベ休刊が公表
上記「ラブベ一斉移籍事件」のわずか2か月後、奇しくもその理由が判明します。2011年の12月6日に、ラブベリーの年度内休刊が公表されたのです。
これを機に、現役のラブベリーモデルたちが、一斉に移籍先を探しに走り出すことになり、あるモデルはアイドリング!!!のオーディションを受け、あるモデルは男性グラビア誌のオーディションを受け、あるモデルは二コラへ移籍を決めるなど、一気にあわただしくなりました。
もちろん、上記エバーグリーン勢の途中離脱は、この流れの1つであり、いち早く移籍先を確保するための「フライング」といった解釈が、いまでは定説となっています。
■愛ちゃんの回り道
で、愛ちゃんです。愛ちゃんは、最後までラブベリーに残り、その休刊を見届けました。最後の撮影の様子が、アイドリング!!!の番組で放送されましたが、ちゃんと愛ちゃんの姿が見つけられます。
そして、2012年の4月。前年のピチモオーディションの合格者である中山咲月ちゃんが、愛ちゃんと同じ事務所であるテンカラットに所属となったことも縁となり、非オーデにて、ピチモ入りが決まります。
こうしてみると、11年にニコプチを卒業し、同年、ラブベに移籍。さらに翌年、ラブベ休刊により、ピチレ移籍と、まさに1年ごとに所属誌が変わっています。愛ちゃんの苦労が分かると同時に、こうした多くの経験を積んだことで、いまの愛ちゃんがあるともいえます。